電卓の世界の現状
電卓の簡単な歴史
世界初の電卓は、1961年に発表された ANITA Mark VII / VIII とされている。
ANITA Mark VII / VIII は、イギリスのベル・パンチ社が開発・製造し、サムロック・コンプトメーター社が販売した。
それに触発されて世界中で電卓の開発が始まった。
当初の電卓は机の上に乗るとはいえ、かなり大きなもので、価格も自動車並であった。
当初、電卓は真空管で作られたが、後にトランジスタで作られるようになり、さらにはICやLSIで作られるようになった。
半導体の価格を大幅に下げたのは電卓の功績と言えるだろう。
電卓の開発競争の副産物として重要なのが、1971年に発表された世界初のマイクロコンピューター Intel 4004 であろう。
日本のビジコン社が電卓の回路設計の手間を省力化するためにインテルと共同開発したものである。
この Intel 4004 が発展し、PC用のマイコンになったことからすると、PCの祖先は電卓であると言える。
1972年にカシオ計算機が発売したカシオミニは、その低価格で電卓を個人一般に普及させたとされる。
このときから電卓の価格競争が激化し、ついていけない電卓メーカーは撤退することとなる。
カシオミニと同じ1972年、ヒューレット・パッカード社は世界初のポケット関数電卓 HP 35 を発売した。
HP 35以前にも関数電卓は存在したが、大型のものばかりだった。そのため、HP 35は革新的な電卓であった。
HP 35 のおかげで計算尺は急速に廃れた。
1990年頃になると、家庭用や事務用の電卓はコモディティ化してしまった。
関数電卓やグラフ電卓はまだ発展を続けたが、PCの普及によって主流ではなくなっていった。
そのため、関数電卓やグラフ電卓は教育用途として販売されるようになっていった。
電卓の世界の現状
2018年現在、電卓メーカーは生き残ったメーカだけで残存者利益を得ている状況である。
電卓の世界シェアトップと言われているカシオ計算機ですら2017年度の電卓の売上は約420億円にすぎず、電卓の世界市場規模はそれほど大きくないと思われる。しかし、その具体的な世界市場規模については不明である。
現在、電卓の世界を牽引しているのは、カシオ計算機(日本)とテキサス・インスツルメンツ(アメリカ合衆国)だけであろう。
かつて関数電卓の王者であった旧ヒューレット・パッカードは電卓事業を閉鎖し、電卓事業を引き継いだHP Inc.が電卓の開発を台湾 Kinpo Electronics へ丸投げしている状況である。
シャープはグラフ電卓からすでに撤退しており、同社の関数電卓もあまり進化しなくなっている。シャープの事務用電卓は未だに多く見かけるものの将来が見えない状況である。
キヤノンは電卓の安売りでシェアを伸ばしつつあるが、電卓を進化させることについては非常に消極的である。
現在、業務において電卓は補助的な役目でしか使われていない。PCで業務をこなした方が効率的である。
これは事務計算でも科学技術計算でも同様である。
欧米では大学入試試験でグラフ電卓が使われることが多いので、グラフ電卓は教育用として普及している。
日本では大学入試に電卓の持ち込みは禁止されているので、グラフ電卓は普及していない。
電卓の世界は大きな壁にぶつかっており、電卓の価値を創造しないと消えていく運命であろう。
電卓リンク集
電卓メーカーなどは有名なのでリンクは不要であろう。
現在でも更新されている日本語の電卓関係のページは非常に限られている。
・電卓喫茶
・I love Hewlett-Packard Calculator
海外の電卓関係ページも紹介しておく